発達☆ソラ会 2019 第一回レポ
さて、とうとう名付けちゃったよ(笑)
ゴロもいいし、ソラみのソラだし、うんうんいいかんじ♬
一昨日、今年初のオフ会を主催しました!!
そのレポをしてみたいと思います(*´▽`*)
発達☆ソラ会 2019 第一回 (2019.1.19)
<参加者>
一次会
・みやさん
・おぐっちょさん
・孤独な亀さん
・ゆうこさん
・きへんサン +お子さん
・私
二次会
・じょえるさん
18時半に心斎橋で待ち合わせ。
みんな時間通りに来てビックリ!!
(私遅刻魔なのでほんとビックリした笑)
お店に移動。
東心斎橋の鳥八珍というお店。
150分食べ飲み放題で3300円でした!!(≧▽≦)
着席し、しばらく飲んでからの自己紹介。
ハンドルネーム
診断名
近況
苦手なこと ・・など。
出た話題をざっくり紹介すると
・職場でのコミュニケーションのとり方について
⇒こういう人がいて困っている
考えすぎなのかもしれないけど〇〇と思ってしまう
〇〇な場でどういう会話をしていいかわからない
・同世代の同性と話すのが苦手だった!
⇒こう言ってた人が男女共に複数人いました。
年上や年下、同年代異性とは話しやすいが、
なぜか同年代同性とは何を話していいかわからない
それ故に学生時代は浮くことが多くて友達がいなかった。
まぁ、今もいないけど^^;
↑この「友達いない」って人、
ほんと発達さんはそういう人多いなぁ。
だけど本音はみんな誰かと繋がりたくて、
でもどうしていいかわからないんだろうなぁて思う。
だから私は誰かと誰かが繋がることができるような場を作りたいと思います(*´ω`*)
・職場や家族に自分が発達だとカミングアウトしたのか
⇒結構皆さん家族に関してはカミングアウトしていた
職場でのカミングアウトは人それぞれで、
オープンにして障害者枠で働いてる人がいたり
休職されている方・クローズで働いている方・就活してる方がいた
参加者の一人、最初はクローズで今の職場に入ったけど
途中で発達がわかってオープンにした人がいました。
紆余曲折あったそうですが、
今はオープンにして家族や職場にも話して
日々工夫をしながらお仕事してる話がとてもよかったです!!
自分のことを受け入れながら、
特性や何ができて何が苦手かを上手に周りに伝えているし
周りの人たちからの対応もきいててとても暖かいなと感じました(*´ω`)
⇒参加者さんの中にはASD単体持ちの人が複数いました。
対処療法でしか薬をもらうことができないよね。
大人になると特に「〇〇したらあかんで」と指摘してくれる人が少ない。
どうしたらええんかなぁ~ みたいな話。
<二次会>
じょえるさんと合流し、2人離脱でコメダへ。
・WAISの見方の話。
⇒誰もWAISの診断結果持ってきてなかったんだけど
私だけ画像あったのでそれを何人かに見せて
へ~やっぱりデコボコだね! とか言ってました。
参加者の中にはWAISの診断はしたけど、
診断結果として用紙くれなかった・・て人もいました。
他にも「マズローの5大欲求」とは・・・など、
本格的(?)な話が興味深かったです☆
・ASDの男の人って多いんだけど
そういう人って表情変化ないしあまり笑わないよね、どうして?
⇒これは私からの質問。
喜怒哀楽はあるけど表情に直結しないんではないか・・と。
男性は簡単に助けを求められない、
弱さをさらけ出せないプライドみたいなものがある。
それはつまり「男らしさ」って言葉に縛られてるのかもしれないね。
などなど、上記以外にもいっぱい話しました!!
発達ならではのあるある話にもたくさん共感したし、
こういうこと頑張ってきた!という話には
すごーい!それでそれで?!と食いついたりもしました(笑)
これからもちょくちょく
思い付きで開催していきたいと思います!
もう少し発達のこと勉強したら、
自助会もやっていきたいなぁーー(*´▽`*)
叔母との会話
さっき叔母と電話した。
電話の中で叔母は自分の家庭のことを饒舌に語った。
そんな詳細に話してくれてええの?!とビックリしたのもあり、
私のことも話せるかなぁと思って思い切って話してみた。
ただ、うちの母親がよくこの叔母に相談していることも知っている。
だからまず聞いた。
「母から私のことどこまで聞いてますか?」と。
大体全部聞いてるよ、と抽象的発言で少しモヤってした。
まぁここで隠し立てしててもしゃーないか、と思い話し始めた。
発達障害あること、あるけど最近は色んな会に出て知り合いもできて元気になっていること。
だけど昔は自分が嫌いだったし、母親からの身体的精神的暴力を一身に受けていて自己肯定感やら何もかもが低かったこと。
一人っ子だから過干渉や暴力を集中して受けていたこと。
うちは母親が強くて父親が弱い…というか空気の存在であったこと。
母親はよく「父がこうしてくれたらよかったのに」「父が〇〇してくれない」等の父への悪口をずっと私に話してきたこと。
私も「母は他にこんなこと話せる相手がいないのだな」と同情し健気にきいてきたこと。
だけどそのおかげで私⇒父への偏見が生まれたし母の意識に取り込まれ私も父のこと嫌いになったこと。
話は少し逸れるが、
私は母親のことを周りの友人達に言う時、下の名前で呼んでいる。
そう呼び出したきっかけは、身近な友人が私の母親のことを呼ぶ時に言い出したことである。
最初は違和感があったが自分でも実際に口に出してみるとしっくりきた。
それに〇〇さんと呼ぶことで、母親ではなく1人の女性として母を見ることができるな、と。
その頃ちょうど「母が…」「母からこんなこと言われて…」等、繰り返し母親の話題を出した時に主語(母)を話す時とても嫌な気持ちになっていた。
だからとてもしっくりきたのだ。
そんな↑経緯を話していたら、
叔母が私のこと「〇〇子おばちゃん」じゃなくて「〇〇子さん」でいいよ!と言い出した。
ビックリしたけど口に出してみるとこれはこれでアリかな?と思った(*˘︶˘*)
話し終わり、叔母が「色々話してくれてありがとう」と言った。
私も昔の苦悩や母親に対しての思い、今の私の状態など話せてスッキリした。
収穫だったのは昔の母のことが知れたことだ。
いや正直あまりあの人のことは興味ないんだけど、その性格やっぱり昔からか!と答え合わせができた気分である。
母親、小さい頃からずっと父の悪口を私に言い聞かせてきた。
「父が〇〇してくれない」
「男の人なら普通〇〇するでしょ!」
「男だったらもう少し気を遣って〇〇してくれるべき!」
「一家の大黒柱なのに私の陰に隠れて云々…」
具体的に言うと(うろ覚えやけど)
「いつも同じ店に連れてくばかりで華やかな所に連れてってくれた試しがない!
外で働いてるんやったらお店の1つも知ってるやろぅに!」
「男やったらもうちょっとリードするやろー!
あの人ときたらいつも私の後ろついてくるばっかりで自分の意思がないのよ!」
など「(私のことを気遣った上で)〇〇すべき」論が非常に多かった!
要は思い通りに父が動かないことへのイラつきである。
その「男(父)は〇〇すべき論」。
私はとうに呆れ返っていて、
「おまえは乙女かー!!」とツッコんでいる。
その乙女ツッコミ発言から昔の話が聞けた。
母親、昔からその傾向があったらしい。
失恋して周りに散々話した上で、
「旅してくる。旅しながら考えてみる」と旅行に行こうとしたらしい。
叔母達姉妹から
「アンタは旅に出な自分のこと考えられへんのか!」とツッコまれたらしい。
あと、叔母と共感し合ったのが、
母親は目の前に相手がいたとしたら、
自分は動かず相手だけを動かそうとする。
思い通りに動かそうとして
うまくいかないとヒステリーになったりする。
なーんや!昔からなんやん!
そら今までもこれからも変わらんやろな!それじゃ!!
と、妙に納得した。
と共に脱力感。
こんなのに今まで罪悪感植え付けられてきたんだなぁ…と。
(こんなのってのも語弊あるけど)
正月はたぶん実家には行かない。
今年も行かないことに決めた。
「親への手紙」 今一生さん講演会
毒親フェスの話の前に去年10月の講演会の話も書いてみる。
(時系列に書かないと気が済まない性格で^^;)
講演会は10月9日(祝・月)
ほんとはこの日、こえび隊の合宿に参加する予定だったが、
こっちの講演会の方が希少だなと思い、
こえび隊の参加をキャンセルした。
※こえび隊
瀬戸内国際芸術祭を支えるボランティアサポーターのこと。
現在、芸術祭は行っていないものの、
島にアートはあって観光客もいてるため、
観光案内、作品の受付などをするボランティアのことです。
※こえび隊
(↑興味のある人は見てください。
読んだら帰ってきてね!笑
おいおい瀬戸内のこともブログに書いていきます。)
会場に着くともう結構人がたくさん入っていた。
受付のわさびさんの笑顔の案内にホッとしたのを覚えてる。
講演会が始まる。
最初に主催者の方から挨拶があったような・・?
(うろ覚えでごめん)
そして今さんの挨拶。
児童虐待の現状。
スライドなども使った説明でわかりやすかった。
今さんが、実際虐待された子供たちとのやりとりなどの話は
とてもリアリティがあり聞き入った。
そして「親への手紙」を書いた人の朗読発表会。
文章(本)で読むのと、誰かの声で読むのとは違うなぁと思った。
最後に挨拶があって講演会は終了。
その後、今さんを囲んでお茶会しますということで、
希望者さんや主催者さん、今さんと喫茶店に移動した。
席の移動はその店の机イスなどの配置上できなかったので、
ちょっと離れた席で少数の方とお話ししていた。
私のテーブルにいたのは、当事者の人達ではなかったが、
私の話を熱心にきいてくれて嬉しかった。
数人の人たちは移動できたので、
主催者の人たちや当事者の人たちとも数人話すことができた。
見た目がめっちゃ美人!とか怖そうな人とも、
普通に話ができたのが嬉しかった。
(ホラ、美人は緊張するやん?笑)
時間になり、解散した後、
近くの主催者さんのお知り合い??のライブハウス?に行き、
みんなとワイワイ話できたのも楽しかったです。
↑もうこのへんから覚えてない笑
次回は、次こそは毒親フェスの話書きます!!笑
親への手紙を知った経緯
ここから書いていかないと、
後々の毒親フェスや笑茶会の話の説明が
自分の中でつかないので書いてみる。
去年の6月の終わり頃、久しぶりにTwitterにログインしてみた。
信田さよ子さんからのRTで
「日本一醜い親への手紙」の先行購入と原稿の応募のことを知る。
ただ、知った時にはもう応募締め切りまで残り一週間を切っていた。
それでも書いてみようと思った。
今さんの、
手紙を書く時のヒントを見ながら時系列で書いてみた。
だが、過去の記憶が極端に少ないのと、
大学中退した時の我が家の大混乱のトラウマとフラッシュバックで、
ほとんど原稿は進まなかった。
そうこうしてる間に応募締め切りが終わってしまった。
ただ主旨はものすごく賛同できるので
先行購入だけでもしようと思い、振り込んだ。
本の到着は9月の始め頃。
届いて、あとがきの後の「謝辞」の欄に
自分の名前(ソラみ)を見つけた時は嬉しかった!!(*´▽`*)
そして皆の親への手紙を読んだ。
胸の詰まるような思いをしながら、何回かに分けて読んだ。
そして巻末の信田さよ子さんのあとがきで、
「多くのACのひとたち、
親との関係に苦しんでいるひとたちにお伝えしたいことは、
「仲間」の大切さである。
言い古されたベタな言葉だが、
「仲間」の大切さを強調したい。
手紙を書いたひとたちは、
お互い顔を合わせることもないかもしれない。
それでも仲間なのだ。
マイノリティであっても、つながることはできる。
いや、マイノリティだからこそ、つながれるのかもしれない。」
~文中 引用~
ここを読んで、大きくうなずいた。
ほんとほんと!!仲間大事!!
つながりたい!つながっていきたい!!
と、心底思った。
そう思ってから数か月後、
まさか本当につながっていけるなんて思わなかった。
もちろんそれぞれ経験や苦労してきたことは違っても、
みんなサバイバーで、なんとか生き延びてきた。
そんな人たちとお話しできて、私はとても幸せだと感じている。
次回は、毒親フェスや笑茶会のことを書きます(*´ω`*)