空みるブログ

ソラみのつれづれ。

叔母との会話

さっき叔母と電話した。

電話の中で叔母は自分の家庭のことを饒舌に語った。

そんな詳細に話してくれてええの?!とビックリしたのもあり、

私のことも話せるかなぁと思って思い切って話してみた。

 

ただ、うちの母親がよくこの叔母に相談していることも知っている。

だからまず聞いた。

「母から私のことどこまで聞いてますか?」と。

 

大体全部聞いてるよ、と抽象的発言で少しモヤってした。

まぁここで隠し立てしててもしゃーないか、と思い話し始めた。

 

 

発達障害あること、あるけど最近は色んな会に出て知り合いもできて元気になっていること。

 

だけど昔は自分が嫌いだったし、母親からの身体的精神的暴力を一身に受けていて自己肯定感やら何もかもが低かったこと。

一人っ子だから過干渉や暴力を集中して受けていたこと。

うちは母親が強くて父親が弱い…というか空気の存在であったこと。

母親はよく「父がこうしてくれたらよかったのに」「父が〇〇してくれない」等の父への悪口をずっと私に話してきたこと。

私も「母は他にこんなこと話せる相手がいないのだな」と同情し健気にきいてきたこと。

だけどそのおかげで私⇒父への偏見が生まれたし母の意識に取り込まれ私も父のこと嫌いになったこと。

 

 

話は少し逸れるが、

私は母親のことを周りの友人達に言う時、下の名前で呼んでいる。

そう呼び出したきっかけは、身近な友人が私の母親のことを呼ぶ時に言い出したことである。

最初は違和感があったが自分でも実際に口に出してみるとしっくりきた。

それに〇〇さんと呼ぶことで、母親ではなく1人の女性として母を見ることができるな、と。

その頃ちょうど「母が…」「母からこんなこと言われて…」等、繰り返し母親の話題を出した時に主語(母)を話す時とても嫌な気持ちになっていた。

だからとてもしっくりきたのだ。

 

 

そんな↑経緯を話していたら、

叔母が私のこと「〇〇子おばちゃん」じゃなくて「〇〇子さん」でいいよ!と言い出した。

ビックリしたけど口に出してみるとこれはこれでアリかな?と思った(*˘︶˘*)

 

話し終わり、叔母が「色々話してくれてありがとう」と言った。

私も昔の苦悩や母親に対しての思い、今の私の状態など話せてスッキリした。

 

 

収穫だったのは昔の母のことが知れたことだ。

いや正直あまりあの人のことは興味ないんだけど、その性格やっぱり昔からか!と答え合わせができた気分である。

 

母親、小さい頃からずっと父の悪口を私に言い聞かせてきた。

 

「父が〇〇してくれない」

「男の人なら普通〇〇するでしょ!」

「男だったらもう少し気を遣って〇〇してくれるべき!」

「一家の大黒柱なのに私の陰に隠れて云々…」

 

具体的に言うと(うろ覚えやけど)

「いつも同じ店に連れてくばかりで華やかな所に連れてってくれた試しがない!

   外で働いてるんやったらお店の1つも知ってるやろぅに!」

「男やったらもうちょっとリードするやろー!

   あの人ときたらいつも私の後ろついてくるばっかりで自分の意思がないのよ!」

 

 

など「(私のことを気遣った上で)〇〇すべき」論が非常に多かった!

要は思い通りに父が動かないことへのイラつきである。

 

その「男(父)は〇〇すべき論」。

私はとうに呆れ返っていて、

「おまえは乙女かー!!」とツッコんでいる。

 

 

その乙女ツッコミ発言から昔の話が聞けた。

 

母親、昔からその傾向があったらしい。

失恋して周りに散々話した上で、

「旅してくる。旅しながら考えてみる」と旅行に行こうとしたらしい。

叔母達姉妹から

「アンタは旅に出な自分のこと考えられへんのか!」とツッコまれたらしい。

 

 

あと、叔母と共感し合ったのが、

 

母親は目の前に相手がいたとしたら、

自分は動かず相手だけを動かそうとする。

 

思い通りに動かそうとして

うまくいかないとヒステリーになったりする。

 

 

なーんや!昔からなんやん!

そら今までもこれからも変わらんやろな!それじゃ!!

 

と、妙に納得した。

と共に脱力感。

 

こんなのに今まで罪悪感植え付けられてきたんだなぁ…と。

(こんなのってのも語弊あるけど)

 

 

 

正月はたぶん実家には行かない。

今年も行かないことに決めた。