共依存の根っこ
このツイートをした後色々考えた。
今の私は過渡期にいる。
過去色んなことに苦しんだ時期。
自分のことが大嫌いで私自身が毒だと信じて誰にも助けを求められなかった。
今ほど人間関係が豊かでなかったのもあり1人で抱えて自分を憎んで嫌って見捨てていた。
今ではそれが認知の歪みだとわかるが当時は本気で信じていた。
「誰の役にも立てないアンタ(私)は生きてる価値がない」
自分自身に価値を見出せなかったから他人からの評価を求めた。
ただ、評価と言えるほどの魅力が自分にあるとは到底思えなかった。
だから他人が私に対して見出す価値こそが自分の全てだと思っていた。
そこに私の存在はいない。
私自身は何も選べないと思っていて相手の望みの中に私がいるなら、こんな私でも価値を見出してくれるなら差し出そうと思っていた。
ここまで書いていて思った。
これが私の共依存の根っこだ。
冷静になったり客観的に考えれば差し出す意味のない相手だということがわかる。
だけど私の中に価値を見出してくれたから。
それが結果として利用されることに終わったとしても。
共依存を怖がりながらも
親密な関係は共依存を繰り返しがちだった。
ここでふと気付いたのだが
共依存関係こそ役割の関係だ。
支配↔服従
役割を欲しがっていた気持ちがココ(服従側)に行き着くのか。
相手に価値を見出してほしいという気持ちが
搾取されることを許す、ということに繋がってるのか。
今でも私は自分自身の価値を見つけられていないのだろうか。