「これは私の感情ではない」
リプ欄でのやりとりで自分の感情を整理できたのでここでも記録という意味で残してみようかと思う。
週末仲のいい友達数人に誕生日会を開いてもらった。
サプライズ計画をしてくれたり
お店もかなり凝った装飾や美味しい料理、手書きのライブアートなんちゃらみたいな仕掛けもあった。
とても幸せで楽しい時間だった。
なのに私の心の中は申し訳なさが漂っていた。
(嬉しさ7割、申し訳なさ3割くらい)
・忙しかったり体調しんどかったりするのにスケジュール空けてくれて申し訳ない
・お金かけてもらって申し訳ない
・私なんかのために申し訳ない
・こんなことを思ってしまって申し訳ない
誕生日会のその当時。
私はちゃんと笑えてたのか
嬉しい表情を出すことが出来てたのか疑問に思う。
そんな色んな申し訳なさに別の意味で泣きそうになりながらもその場は楽しんだ。
ちゃんと友人達にはありがとうも返すことができたと思う。
バイバイして1人になった時。
私はその申し訳なさに向き合った。
ちなみに普段の私は人のことをもてなすことが多いので
その逆のもてなされる側(祝われる側)に慣れてないってのがある。
最初は↑このせいかな、申し訳なさを感じるのって思ってた。
ただ
「申し訳なさ=罪悪感」 だ、と捉えた時。
意味が変わった。
(私にはその=がしっくり来た)
・どうして罪悪感を感じるのだろう?
・(気持ちやモノを)受け取ることに罪悪感を感じているのか?
・どうして私は受け取ることが苦手なんだろう?
そう思い返した時。
私には経験がなかったからだ、と思った。
その誕生日会の雰囲気や来てくれた友人達は
私のありのままや無理してない今の自分を受け入れてくれてる。
そうした上で祝ってくれるのでほんとに感謝し尽くしている。
過去を思い出すと異性関係しかり親子関係しかりいつも無理がかかってた。
相手が私に見てる価値というものが私自身にないと愛されない or 愛してくれないって思ってた。
いつも自己犠牲を含んだ差し出しをしていた気がする。
それの元の原因を探るとやはり母娘関係になるのだ。
先日こんなツイートをした。
(拡大したら見えるかな?💦)
うちではこんなやりとりがしょっちゅうだったので怒られることが多かった。
そんな環境で育ってきたのもあり
(相手⇒自分を見て)条件を満たさないと受け入れてくれない…ていう呪いみたいなのが私の中に根付いている。
話がだいぶそれた。
結局どうしたかというと私は感情を切り分けた。
気持ちを受け取ることに罪悪感を感じている
⬇️
これって本当に私自身の感情?
と、自問してみた。
これを掘り下げて考えた時に違和感みたいな借り物の感覚のような感情だったのだ。
だから自問できたのかな、と。
そうして出てきたのが上記の心の流れ。
「これは私の感情ではない」
と気付いた。
今の自分なら、今周りにたくさん信頼できる人がいる自分なら、こうは考えない。
過去の自分が思ってきたことで
元は母からずっと言われてきた言葉だ、と。
感情を切り分けることができたが
切り分けた先の偽の感情を掘り下げることは出来なかった。
辛さが混じったし、ハプニングがあってポンと忘れてしまったからだ。
とりあえず気付けたことが第一歩、と思うことにした。
気付けて認められた私えらいぞ✨と肯定したことでまた一つ自分を信じられるようになった気がする。